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障害者アートや福祉とデザインに関することなどを綴っています。

2016/2/25 アール・ブリュットという言葉について

福祉系の情報2016/02/25


先日のブログで、アール・ブリュット国際フォーラム2016に参加した様子を書きました。→

その中でも少し触れましたが、昨今、「アール・ブリュット」という言葉をよく耳にするようになりました。
「アール・ブリュット」とは、フランス人画家ジャン・デュビュッフェがつくったフランス語で、Art Brut=生の芸術という意味の言葉です。
正式な美術教育を受けてない人による芸術とされていて、障害者以外にも高齢者や祈祷師、呪術師、また刑務所で初めて絵を描いた人や孤独に何かを作り続けている人など、様々な人が作り出す作品がアールブリュットとしてスイスのアール・ブリュットミュージアムに収められています。
しかし日本では、アール・ブリュット=障害者アート、という新たな言葉の定義が出来上がりつつあります。

スウィング
さんもおっしゃっていますが、
【アール・ブリュット=障害者アート】というのは間違いです。
しかし、【アール・ブリュット=障害者アート】という認識の波は、どんどん大きくなって広がっていきそうです。
私も障害者アートに関わる者の一人として、僭越ではありますが、私の見解を書いてみようかと思い、今日のブログを綴っています。

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言葉に支配されてはいけない。
言葉は「ツール」でしかない。

音楽に例えると、CDショップで、
リップスライムはJ-POPの棚にあるのか、ROCKの棚か、ヒップホップの棚か?
TMレボリューションはもはや、アニソンの棚に置いてもよいのではないか?
誰が、誰に向けて伝えたいかによって、答えは違うし、違ってもよい。
それが大した問題にはならないし、分け方で音楽の聞こえ方が変わるわけではない。
好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いなのだ。
カテゴリー分けの仕方が各店舗で違っていることは、お客にとっては、そのお店の目利き所がわかって、かえってよいかもしれない。

アートをカテゴリー分けするのも同じくらいのことである。
アウトサイダー・アートでも現代アートでもよい。
要は、それが何かがわかればよいのである。
相手にちゃんと伝わればよいのである。

子供には子供にわかるように話をするし、老人には老人にわかるように話をする。
子供や老人に伝えたいと思うとき、私はアウトサイダーアートという言葉も使わないだろうし、現代アートという言葉も使わないだろうと思う。
「障害のある人が描いた絵だよ。」と説明するだろう。
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この文章、実は2010年8月に私が自分のメモとして書いていた文章です。
(公表するつもりもなく書いていたので、なんだか変な文章でスミマセン。。。なんでTMレボリューションなのかとかは無視してくださいwww)
その当時は、障害者アートを「アウトサイダーアート」と呼ぶのか「現代アート」と呼ぶのか、という議論があり、私はこれをメモとして残していました。
また個人的な記憶としては、私は2006年から「みっくすさいだー」
というグループ名で活動していたこともあり、その活動の説明時には「アウトサイダーアート」という言葉を使っていたのですが、
この分野では有名なとある施設長さんに「柊さんはなぜアウトサイダーアートということばを使うのか」とお叱りを受けたこともありました。
(その頃は、アウトサイダーアート以外にもエイブルアートやチャレンジドアート、ボーダレスアート・・・なんていう言葉もありましたね。)
それから6年たった今、偶然にもこのメモを読み返しましたが、
「アウトサイダー」の部分が「アールブリュット」になっているものの、今もなお、同じようなことを議論しているのだなと思いました。
そして、稚拙で乱暴な書き方ではありますが、私の考えはこの時から大きく変わってはいないのだということも確認できました。
私は、「アール・ブリュット」でも「アウトサイダーアート」でもそれは大きな問題ではないと思っていて、
言葉に踊らされるのではなく、本質を見極めなければ・・と思っています。
言葉狩りをするのではなく、私がやらなければいけないことは何だろう?そう考え、行動していきたいと思っています。

勿論、いろんな方同士で建設的な議論をすることも良いとは思います。
そこを否定はしませんが、
私は私がやらなきゃいけないことをちゃんとやらないとだめだぞ!と自分に言い聞かせたい、
そんな気持ちでおります。

以下、スウィングさんのブログを読んで共感したことがあったのでご紹介します。

2015年、スウィングさんは、“昨今の「アール・ブリュット」ブームに疑問符を投げかける1年”と位置づけ、様々な形で問題提起を続けてこられました。
その様子は以下からご覧ください。

★スウィングさんのブログはこちら・・・
展覧会「ART BRUT? NOT ART BRUT?」回想録 →

さよなら、アール・ブリュット ~前篇~ →

さよなら、アール・ブリュット ~後篇~ →

さよなら、アール・ブリュット~前篇~の中に、こんな言葉がありました。

(前略)つまりは「障害者アート」(ここでは「障害者アート」という呼称の是非、定義等には触れない。だってものすごくややこしくなっちゃうから…)=「アール・ブリュット」では決してないのである。

そうこれ!!
障害者アート=アール・ブリュットは違うけど、でも、じゃあどうやって言うかって言うたら「障害者アート」なんちゃうん??ってことなのです。
木ノ戸さんの文章にもありますが、
「障害者アート」って言っちゃうのもどうかと思うけど、そんなこと言い出したら色々ややこしくなっちゃうから、とりあえず「障害者アート」って言いますよ、
っていう意味で、みんなそれを「障害者アート」と呼んでいるんです。
じゃあ、それが答えやん、って思ったりします。
「障害者って言っていいの??なんかキツく感じない??」なんていう不安もあるかもしれませんが、
言葉尻を捕まえて、屁理屈みたいにあーだこーだ言ってるう
ちに、色々ややこしくなっちゃうんです。
だから、なんだかフワフワ・ごにょごにょしたフランス語に踊らされてしまうんです。

さよなら、アール・ブリュット~後篇~の最後の方にある言葉。

●アブノーマライぜ―ション
「障害者アート」=「アール・ブリュット」の定着以上に、僕たちが最も問題視しているのは「障害のある人」=「芸術性に秀でた人」という、根拠なき新たなド偏見が、明らかにあらわれはじめていることだ。

なるほど、と思いました。
障害のある人のことをあまり知らない人にとっては、良かれ悪かれ、障害のある人を“特別視”してしまう傾向があるということの現れなのでしょうね。
障害のある人にも良い人もいれば悪い人もいるし、おもしろい人もいればおもしろくない人もいる。
それは私たちと何も変わらないはずなのに、なぜか、ある一定のわかりやすい「像=イメージ」を頭に刷り込んでしまうのですね。。。怖いです。。。
それはメディアのせいかもしれませんし、これまでの福祉のあり方の影響なのかもしれませんね。
そこは、スウィングさんはじめ発信能力に長けた福祉事業所さんにイメージの払拭を図っていただきたいところですね。
そういう意味では、スウィングさんのブログなんかを読んでいると、身近な人の日常のおもしろいことや共感できること(できへんことも)が書いてあり、
変な“特別視”はなくなっていくのでは・・・と思っています。

長い文章を書いているうちに、なんだか支離滅裂になりそうなのでここらでまとめますが、
私がやらなきゃいけないこと、やろうとしていることは、
障害のある人のことや福祉の現状のことを知らない人に“知ってもらうこと”なのだという考えにたどり着きました。

「アール・ブリュット」でも「アウトサイダーアート」でも「現代アート」でも、適宜やればよろしい!!以上!!

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